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AR本多邸ぐらし いきさつ その1

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展覧会「AR本多邸ぐらし」の準備を着々と進めています。
「AR本多邸ぐらし」について詳しくはこちら
Photoshopで間違えて上書き保存をやらかした回数はもはや覚えていません。「別名で保存」、大事です。

先日、直前になって慌てないように必要なものをいくつかアマゾンでポチったんですが、人数を数えるのに使うこの道具、数取器っていうんですね。初めて知りました。

「AR本多邸ぐらし」を開催するに至ったいきさつを、何回かに分けて書いていきたいと思います。
展覧会図録に掲載されているようなしっかりした文章を書こうと最初は考えていましたが、めんどくさい・・・多分時間がなくて間に合わないだろうということで、日記に書いていくことにします。もしかしたら、全部書ききったあとにきちんとまとめるかもしれませんが。

岡崎市旧本多忠次邸に行ったことがありますか?
旧本多邸は建物も家具も立派ですが、実際に見て感じるのは、歴史を積み重ねてきた建物というよりもむしろ、新しくてきれいな建物だなという印象だという方が多いと思います。旧本多邸が現在の場所に移築復原されて博物館として開館したのが2012年7月とまだまだ新しいうえ、移築復原の際に傷んだ部材や失われてしまった部材などを新しいものに取り換えているので、ぱっと見たときは新築のように見えてしまいます。実際、漆喰で仕上げられた室内の壁は今でも真っ白でピカピカです。
さらに、生活の気配を感じられない館内はどこか寂しく、旧本多邸の新築らしさを一層強調しています。建物を見せる博物館というコンセプトであるため、館内は必要最低限の家具が置いてあるだけです。食器をはじめとした生活雑貨も一切なく、いわばがらんどうのモデルルームのような様相といえます。たまにお花が活けてあるときもありますが、本多邸での暮らしの様子を知るための手助けにはほど遠いのが現状です。
こうした旧本多邸の生活感のない様子を、管理者である岡崎市も認識はしているようです。2015年2月14日~3月29日に旧本多邸で開催された展覧会「ほんとの うえの ツクリゴト」では、旧本多邸の生活感のなさが展覧会の重要な要素になっていました。同展覧会図録に掲載されている論考は、旧本多邸について『新品の模造材で補われ、家具調度類もピカピカに修復された邸宅は、違和感を覚えざるを得ないような、「ツクリモノ」の雰囲気に満たされている』(千葉 2015年 p.11)と述べています。
これまで見てきた旧本多邸の生活感のなさは、建築自体の紹介には十分かもしれませんが、文化財の活用の観点から見ると大きな問題となります。デービッド・アトキンソンは『国宝消滅』の中で、日本で公開されている文化財(建造物)は建築の説明に偏っており、その建物で培われた人間文化を紹介していないのが問題であると指摘しています。小難しい建築の専門用語が並んだ解説板が立っているだけで他には何も置いていない文化財と、建物の説明に加えてそこで何が行われていたのかがわかりやすく展示してあり、さらには自分も同じ体験ができるような文化財があったとしたら、きっと多くの人が後者の方が楽しいと思うでしょう。建物は見せるけれどもそこでの暮らしの様子はうかがえない旧本多邸がどちらであるかは、言うまでもありません。

旧本多邸に対してこうした思いを持っており、行きついた先がAR本多邸ぐらしというわけです。
「旧本多邸の活用は持ち主である岡崎市(行政)の仕事でしょ」という考えの方も多いでしょうが、私はそうは思いません。そのあたりはまた今度。

参考文献

  • 千葉 真智子 「ほんとの うえの ツクリゴト」(『ほんとの うえの ツクリゴト』) 2015年
  • デービッド・アトキンソン 『国宝消滅 イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機』 2016年

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