油絵茶屋の話

台風21号、すごい勢いでしたね。
愛知県でも台風のみならず、広範囲で停電も発生しました。みなさんはご無事でしょうか?
また、北海道の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
北海道は2回だけ行ったことがあるのですが、おいしいごはん・おやつと雄大な自然にすっかり魅了されてしまいまして、落ち着いたらぜひともまた遊びに行きたいと思っています。

さて今日は、展示企画「岡崎拡張現実茶屋」の着想の元になっている、「油絵茶屋」についてお話したいと思います。

油絵茶屋は、明治時代の初め頃、東京の浅草を中心に催された見世物小屋です。日本における、最初の油絵の展示だとも言われています。
※油絵茶屋について詳しくはこちら
今では油絵は珍しいものではありませんが、明治時代の初め頃はまだまだ珍しい西洋の絵画技法でした。そんな油絵を広く町の人々に見せる興行として、自ら「西洋画工」と名乗った五姓田芳柳・義松の親子によって油絵茶屋が開催されました。

見世物というと、現在では必ずしもいい意味で用いられる言葉ではありません。「しょせん見世物にすぎない」など、B級、低俗といった意味合いを含んで使われることもあるかと思います。

しかし見世物は、江戸時代には江戸っ子に好評を博した興行でした。人間離れした技を見せる軽業や、籠を使って制作された巨大な籠細工など、普段はお目にかかることのない珍しい物の数々を、庶民は驚きながら、そして何より楽しみながら見ていました。

油絵茶屋は、見世物の形をとって油絵を人々に見せる場所でした。芸人の見事な口上に誘われて見てみれば、本物かと見間違えるような表現の油絵があり、「まるで本物のようだ」と口々に感想を言い合っていたようです。さらに、油絵茶屋では当時は珍しかったコーヒーが振る舞われたとあって、コーヒー目当てに油絵茶屋を見に行った人もいたようです。

コーヒーが飲めたの?と思うかもしれませんが、「○○茶屋」と称してお茶を飲みながら見ることのできる見世物も江戸時代には一般的でした。コーヒーを提供したのも見世物からしたら当然だったのではないでしょうか。

にぎやかな口上を聞きながら、コーヒーを飲みながら、自由に感想を言い合って体験できた油絵茶屋ですが、油絵を見せる場は次第に美術館へと変容していきます。
現在美術館と言うと、静かに作品を鑑賞する、作品保護のため飲食禁止、撮影も禁止、学芸員の解説は説明会で聞けるだけ…など制限事項が多く、見世物とは正反対の要素が数多くあります。
見世物から美術館へ、対極ともいえるものにどうやって変わっていったのかは、木下直之『美術という見世物』で詳しく述べられていますので、興味のある方はぜひ読んでみていただきたいです。

簡単に油絵茶屋について触れましたが、今回の展示企画にあたり、「油絵茶屋」を参考にしたのにはいろいろな理由があります。
その理由もおいおい書いていければなと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。