あわ雪茶屋の話 その1

またもや、更新にだいぶ間が空いてしまいました。新年の抱負で、もう少し頻繁な更新を目指しましたが、三日坊主どころではないですね(’A`;)
来月でサイト開設1周年なので、それに向けてもう少しペースを上げていきたいなと思っております。

さてさて、作品「あわ雪茶屋」ができたので、何回かに分けて、裏話なりちょっとした解説なりをしていこうと思います。

すでに作品を見てくださった方はわかると思いますが、今回、作品紹介の文章を今までと変えてみました。
まだ見てないや!という方はこちらからどうぞ。 → あわ雪茶屋

作品紹介では、なるべく歴史的な背景とか専門用語を使わずに、「作品がどういう風景を切り取ったものなのか」を伝えたいと思っています。そのため、文章も物語調です。
その中で、唐突に出てくる「あわ雪茶屋」ですが、これは架空のお店ではなく、過去に実在したお店なんです。

あわ雪茶屋は、江戸時代、東海道の岡崎宿にあったといわれています。

江戸時代に、全国を結ぶ陸上の交通網が整備されました。東海道もそのうちの1つで、江戸と京都・大阪を結ぶ道です。
現在でも鉄道には「東海道新幹線」や「JR東海道線」がありますが、だいたい似たような区間です。
そして東海道には宿駅がおかれ、宿駅では、自分の領地と江戸を行ったり来たりする殿様の宿泊施設や、旅する庶民のための安い宿、荷物を運ぶ人や馬を提供していました。

そうやって人が集まるところだったので、ご飯を食べたりお茶を飲んで休憩する場所もできてきたのでしょう。
東海道の宿駅の1つ、岡崎宿(現在の愛知県岡崎市若宮町~八帖町)にも宿やお店が多くならび、その規模は53あった東海道の宿駅の中でも3番目に大きかったようです。
そして、たいそう賑わっていた岡崎宿の名物が「淡雪豆腐」で、この淡雪豆腐を出していたのが「あわ雪茶屋」でした。

しかしこのあわ雪茶屋、あったという記録はありますが、現在まで残ってはいません。また記録があるといっても、投町(なぐりまち)にあっただろうということがわかる程度で、正確な場所はわからないのです。
だいたい、現在の「若宮町2丁目」交差点の付近であると思われますが、ここにありました、と言える場所は特定できていません。

場所が特定できていないので、あわ雪茶屋がどんな建物だったのかを調べることができません。そのため、作品では建物の一部が作ってありますが、これは完全に私の想像です。
でも空想の産物かといえばそうではなく、調べられる範囲の資料を手がかりにはしています。

今回はここでおしまい!
詳しい場所はわからないけれど、江戸時代の岡崎宿に「あわ雪茶屋」があったことはわかっていただけたと思います。
建物にまつわる裏話は、「あわ雪茶屋の話 その2」へ続きます(・e・)